その他

上を向いてあるこう

今日はまた1週間ぶりにスーパーへ。
先週よりも品揃えは格段に良くなっている。先週は皆無だったお米が出てきていてほっと一安心。“お一人様1点限り”とありましたがそれで充分でしょう。
牛乳は残念ながらありませんでした。

東京の水道水からも乳児が飲む暫定基準値を超える放射線量が出たとか。
これからはこういうニュースが多くなっていく事でしょう。事故後の代償がこれ以上大きくならない事を願います。

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フランス人歌手のクレモンティーヌさんが歌う『上を向いてあるこう』を発見。
これからは上を向いていかなければ!!

久々に

久々の新宿はやはり節電で薄暗い。しょうがないとは思いつつ、気分も少しうつむき加減。いつも通る道のりの途中にあるお花屋さん。ここも節電はしているもののお花があるというだけでとても明るく感じる。花のパワーってすごい!
不思議なものです。今まではそんな風に感じなかったのに・・・

福島原発に関しては明るいニュースも聞こえてきました。
ですが、原発のあり方については私たちの大きな課題となってくるのは間違いないです。
人間の作ったものに“絶対”はないのだと思い知った地震でもある。意見は色々あるが、福島原発だって私たちに何十年と恩恵を与えてきたものだという事も忘れてはいけない。あえて最後に私たちに警告を与えてくれたのかもしれない。これをどう受け取るか、人間を試しているのかと思わずにはいられない。大きな役目を終えた事にこれも感謝しなければと思う。

今日の夕食は久々に“好きなものずくし”にしようかと思っていたら、帰宅時間が遅くなってしまい、節電の世情であるが故、デパートなどはもちろんclose(涙)
お店のスタッフからもらったチーズパンの晩餐となりました。美味しかったけど(笑)

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これを書いている今、緊急地震速報のエリアメール。
この音が鳴る度にドキっとする。今日1日でも余震と思われる地震はかなりあった。
心休まる日が1日でも早く来る事を願い床につこう。今日も無事に1日が終わった事に感謝して。

義援金や応援サイトなど

義援金や募金をする時は、送り先の団体などしっかりチェックしてから行いましょう。
日本赤十字社ユニセフなど大きな団体はもとより、現在では本当に沢山の義援金サイトがあります。身近なところで私の住まう東京都と江東区の救済活動のページをご紹介。

・東京都の義援金受付はこちら
・東京都の救援物資受付はこちら
・江東区の義援金受付はこちら
・江東区の救援金(募金)はこちら

被災者応援サイト
#prayforjapan
kizuna311

そして私は明日から出勤。普通の生活が素晴らしいのです。

『震災から10日―人の強さを信じて進む』

asahi.com3月21日付 社説をそのまま引用させていただきました。

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2011年3月11日午後2時46分から、きょうで10日を迎える。

判明した犠牲者の数、8千人以上。戦後日本が経験した最悪の、未曽有の災害だ。制御不能に陥った東京電力福島第一原子力発電所では、放射性物質の大量放出をくい止めようと、懸命の作業が続けられている。
私たちを揺さぶったものの恐ろしさに、改めて身がすくむ。

大津波で街がいくつも破壊された。泥とがれきの茶褐色の光景が、目に焼きつく。愛する人や仲間を捜し続ける人がいる。いまなお安否がわからない人が1万8千人以上いる。

■救援をもっと厚く

被災地は次第に、大量の死という現実に向き合いつつある。大災害はともすれば、数百、数千という数字で語られがちだ。でもその一人ひとりに、海辺の町で過ごした豊かな時間があったことを、心に刻みたい。

絵を描くのが好きだった宮城県石巻市の佐藤愛梨(あいり)ちゃん(6)。15日が卒園式のはずだった。幼稚園のバスの中で見つかった。
同県東松島市の自宅の庭で仰向けに倒れていた熱海つよしさん(79)。息子が母を捜し出したとき、笑ったような顔をしていた。

長い、つらい、悲しみの時が続く。営んできた暮らしがそっくり流され、その立て直しも重い課題だ。
ともに泣き、じっと耳を傾け、支えたい。地震翌日、被災地入りした記者に「町の惨状を早く伝えて」と訴えた人がいた。その言葉も忘れまい。
三十数万人が、不自由な避難所での生活を続けている。

福島原発の周辺に住む人は、故郷がどうなるのかという不安とともに、村ごと、町ごとの退避を強いられた。地震、津波、原発事故の三重被害だと、怒りを込め訴えた市長がいた。

先週は真冬の寒さが各地を襲った。避難中に亡くなる人が相次ぐ。薬も飲み物も食べ物も燃料も暖かさも、足りない。物資は滞り、被害が大きい所ほど届きにくいジレンマもある。

■使命感を胸に

災害直後の緊張が解け、沈みこむ人が増えている。ストレスと疲労は限界に近づいている。絶望と孤立感が、生き延びた命を刻々と削る。
もっと急がねば。救援をもっと厚くしなければ。
福島県相馬市の避難所で被災者自身がボランティアを組織した。班長の一人、大谷亮一さん(67)は「私らは生き残った。感謝の気持ちなんです」。

近くの病院にひびが入り、患者が身を寄せた岩手県立釜石高校。学校に寝泊まりする生徒が支えとなった。体育館入り口に、避難者向けの寄せ書きがある。「上を向いて歩こう」と。

災害の最前線には、使命感を胸に体を張る職業人たちがいる。
原子炉近くでは、東電や関係する会社の社員たちが危険な作業を続ける。
自衛隊員、警察官、消防隊員が応援に入った。真っ先に被災地に入り、多くの人を救い出したのも彼らだった。
大きな揺れの後、町を守ろうと水門へと走った役場職員がいた。海上保安官、医師や看護師、福祉施設職員、教師、トラック運転手、コンビニ店長、後方でフル回転する公務員……。

想定を超える事態に混乱も起きている。だがその働きぶりに思うのは、幾多の災害を経て蓄えた教訓が、多少なりとも生きているということだ。
被災地から遠く離れて暮らす市民も無関係ではいられない。

海外から安否を気遣うメールを受信した人は少なくないだろう。日本のことを、みな案じてくれている。多くの国からの支援の申し出も心強い。

関東では計画停電に振り回される毎日だ。催しの中止や延期、商品不足。不便さはじわじわ広がる。農産物の放射性物質の数字も心配だ。雲のような不安が頭を覆いそうになる。

■しなやかな市民社会

他方、長い行列やすし詰めの電車の中を、人はいら立ちを抑えて耐えている。ネット上では、デマを打ち消し、本当に必要なことは何か探ろうとする共助空間も生まれている。

政府が積極的に情報開示をすべきなのは言うまでもない。市民もまた、冷静に事態を受け止め、自律する力が、求められているのだ。

全国の自治体で被災者を受け入れる動きが広がる。胸裂かれる思いでふるさとを離れた人を、どう迎えるか。それぞれの町で市民にできることが、格段と増えている。

熱き心と冷たい頭で。市民社会のしなやかさが問われる。

震災から10日。防潮堤、建造物、原発……。思い知らされたのは、人間が築いたものがいかに頼りないか、ということだ。政府の動きを含め、後から検証すべきことは山ほどある。

一方で、人を救うのも、支えるのも人だということを、学びつつもある。そう、私たちは少し前まで、寒々とした孤族の国できずなをどう結びあうのか、思案していたのだった。

東京消防庁の隊員は妻に「安心して待っていて」とメールを打ち、原発に向かった。石巻市では、流された家に閉じこめられていた80歳の祖母と16歳の孫が、9日ぶりに救助された。被災地で生まれる新しい命もある。

 誰かがいれば人間は強くなれる。

 信じよう。春はあと少しで来る。

今までとこれから

今日、80代の女性とお孫さんが救出されたとのニュース。本当に良かった!発見された当時は体温28℃という低体温にあったという。地震から9日で救助された方がいるのですから、まだ助けを待っている方がいるはずです!

先日の東京消防庁ハイパーレスキューの方々の記者会見は、地震発生後のどんな記者会見よりも説得力のある心を打つものでした。ご家族の方は、さぞご心配でしたでしょう。感謝という言葉だけでは足りませんが本当にありがとうございますと伝えたい。
ハイパーレスキューの方たち以外にも、東京電力、東電子会社、原子炉を製造した東芝、日立製作所などメーカーの社員たちが今大変な危険を冒して、原発に残って危険な作業にあたっている。彼らの事を欧米では“Fukushima 50”として称賛している。この方々にも多大な感謝と、そして無事でいてくれる事を祈ります。
私たちはこの震災とこの方たちの事を決して忘れてはいけないと強く思います。

避難所の状況は場所によってまちまちだそう。
道路が寸断されて物資が運べないのであればヘリでと思うののは皆同じだと思うのですが、ヘリの飛行には規制があるそうで出来ないそう。緊急時は柔軟に対応して欲しいところ。なぜ、すぐに規制を変えられないのか、その方がおかしいと誰でも思うはず。

そして私たちは節電しながらも普通に暮らすという事も大事です。
『よく働きよく遊べ』
普段もこうありたいと思っているのですが。
原子力発電という事も考えなくてはならない事になるでしょう。日本にいくつの原発があるのかさえ知らなかった私。知らない事は罪なのかもしれません。
参考サイト→Wikipedia 日本の原子力発電所
福島第一原発は廃炉になる事が決定したようです。

地震から1週間

地震から1週間。
被災地の状況は多少は良い方向に向かっていると思いたい・・・
そんな中、避難所で亡くなっていく方も出てきたというニュース。原因は色々あるのでしょうが、環境が激変してしまうのはかなりのストレスがかかるはず。
そんな中でも卒業式が行われたニュースもありました。この子達が将来担うものはきっと大きいものになるでしょう。
これからの未来をより良いものにしていってほしいです。

日本人の高潔さ

この地震で海外から評価されている事の1つ。『日本人の高潔さ』だそう。
我々からみると当たり前の様に見える光景が、海外の方には高く評価されている。

略奪が起きない。暴徒化しない。非常時でも順番を待つ。駅の階段で座り込む時は歩く人のスペースを空ける。などなど・・・

時にはお人よしと言われる事もある日本人だが、そんな日本人を誇りに思いたい。

海外から送られるエールも心を打つ。被災していない私でさえ涙が出る。先日も書きましたが、被災地の方に1番見てもらいたい。
海外から支援をしてくださる沢山の方々にも感謝!
必ず立ち上がれるさ、ニッポン!

不動心で!

怖がってばかりでもしょうがない。最後は自分の腹をくくれるかどうか。
窮地に追い込まれると、その人の本性が出るという。気をつけなければ。

今日は地震後、初のスーパーへ。そう言えば1週間行ってなかった。
思ったよりも品薄ではなく、ホッと一安心。

以前、知り合いに聞いた、登山家の方が持ち歩くという非常食であるというチョコレートを購入。騒動が終わったら笑って食べたい。

今、原発に放水を開始したと速報が流れる。作業されている方の安全と成功する事を強く祈る!

今夜は1段と冷え込む模様。厚着して布団を重ねて早寝をすることも節電の1つ!被災地の方を思ったらどうってことない事!

私たちに出来る事 その2

東京のスーパーでも品薄状態が続き、ガソリンを入れるのにも渋滞する有様。
物資はあるというのに、ガソリンが無くて届けられないという。なんとも悪循環。
“買いだめ”という行為は不安感を消すための目先の行為でしかないと再三報道されているにも関わらず、やはり原発に何かあったらと思うとそういう結果になってしまうのでしょうか・・・
今読んでいる本に“人間は目先の事しか考えられないように出来ているのかもしれない”と書いてありましたが、正にそれを目の当たりにした感じです。
東京以西に住んでいる何人かの友人が「物資が必要なら送ります。」とメールをくれた。こういう申し出は素直にとてもうれしく思う。「本当に困ったら送ってもらいます。」と返事をしました。その言葉に甘え無くて済む事を願います。

『私たちに出来る事』
・買いだめをしない。
・節電をする。
・義援金を送る。

私も本日、銀行経由で日本赤十字社に義援金を送りました。少しですが役立ててほしいです。
義援金はこちらから→日本赤十字社 東北関東大震災義援金のページ

私たちに出来る事

被災された方々に出来る事。
1番は義援金(募金)だそうです。物を送ってあげたい気持ちは山々ですが、沢山の品物が送られてくるとかえって混乱してしまうそう。今現在は企業からの支援のみ受け付けているそうです。
それと、節電。いつの間にか身についてしまった贅沢な『普通の』暮らし。少しの不便など当たり前が、私の小さい頃は『普通』だったのに・・・
ボランティア活動はまだ先の話。今はプロの方たち(医療やレスキュー)の活動が必至。

ニュースでは日本への応援メッセージが流れています。このメッセージは被災地の方は目にしているのでしょうか?

今、福島原発2号機の燃料棒が完全露出とニュースが流れています。私たちの暮らしは物凄いリスクの上に成り立っていたんだと思うと悲しくなります。
何事もないように、あとは祈るしかない。